噂話なんて 尾鰭背鰭がくっつくもの
味噌で煮ようが塩で焼こうが鯖はさば てね
言葉と言葉の、人の意識と意識の、はざまから。
時間の狭間、出来事の狭間、
在った事と、無かった事の狭間。
見出されたものと、失われたもののはざま、
生きた者と、死んだ者のはざま。
怪異の中心は、怪異の生成ではなく、
この“はざま”、怪異譚の生成そのものにある。
ほとんど神話生成の過程に挑むような感覚がある、
というのは、穿ちすぎだろうか。
観る側も、何もわからなくても、薬売りの放り込まれた状況が、
怪異譚の王道だとすぐ分かる。
香りというのは奥深きもの 馨しい香りを聞くと
頭の後ろの方で いろんな風景や 色 光
あるいは 万葉の風景が うかぶのでおじゃる
でも、それは何故だろう。
組香という、馴染みのないゲームへの憧れを“登場人物”たちにリアルにかき立てられてしまうのは、何故だろう。
あまつさえ、それが病みつきになるほど面白いのは、何故、なんだろうか…?
“あれ”は、薬売りの見たもの、なんだろうか。
ヌーヴォー・レアリスム(新しい現実)の中で、鮮烈なモノクロ画を世に打ち出したイヴ・クライン。
あのエロティックさと非日常感を、直接に想起させる、赤。
悪夢のような怪異のはじまりと、旧世界への反逆、新世界へのオマージュが重なる。
きわめて目覚めた近代精神の手法を使って描かれた、暗黒時代の、野獣。
フォーヴィズムなら、後作の「大正化猫」を筆頭に、他作品のほうが、よほど妖しげな色彩を打ち出しているのに。
「何かが有り 何者かが何故にか 怒り怨んでいる」
いや、人がブッ殺されるのに違いなど無い。
あの映像を“みせた”ものは、一体、なにものか?だれに向けて“みせた”のか?
3人の“婿候補”と共に、いきなり薬売りが混じっている。
・形、真、理は不明
・退魔の剣はモノノ怪の存在を示している。
・足音に代り鈴の音などが入る。足音が響くときは、姿がない。
日暮れ後。宵闇が深まる。真横に這う雪。強烈な横風、桟敷へ全く響かない。
吹き曝しの廊下を、しずしずと渡る人々の中に、薬売りの姿は無い。
人々と、薬売りは、異なる次元で重なり合う。
香会の席につく人々。瑠璃姫をみとめて平伏する。
後から来た薬売り。剣を手にしている。剣は光っている。カタとも言ってない。
この時点では、まだ───「彼女が、その形かと」
もし、実尊寺も薬売りも来なかったら、一体、誰が香席についていたのだろう?
仮に。実尊寺を殺したのが、薬売りだとしたら?
冒頭の“あれ”が、薬売りの視点、だとしたら…
「一の香、炊きはじめます」
組香がはじまる。
勝負が始まり、プレイヤーの性格も鮮明になってくる。
公家の大澤蘆房は、感受性の豊かな楽天家。品格と知性を兼ね備えた上流人ながら、格式や外見にとらわれない柔軟な思考の持ち主。
廻船問屋を営む半井淡澄は、実直な商売人。大澤の「香の道では知られたお方」という言葉が示すのは実業界におけるひとかどの人物。
武家の室町具慶(ともよし)は御所勤めの役人。香に関して全くの素人だが、勝者は主催である公家の姫と婚姻を結べる、と聞いて参加した。
夜の闇を引き裂いて、雷鳴のように、梢を抜ける突風のように、獣が鳴きわめく。
「鵺の、鳴き声かいな」
剣が鳴りはじめる。
聞香の後、香席から出されるプレイヤーたち。
理由をつけて、3人が次々と姿を消す。 雪が“水色”に───モノノ怪の、領分。
大澤は、渡り廊下の途中で立ち止まり、向かいから来る老小間使いを、じっと見つめる。
老女の足は非現実的なまでに速い。
「おかしいのう?」とでも思って見つめるのかと思いきや、大澤の背後を紫の雪が舞う。
───私はこの場面が、物語全体を通じて、いちばん好きだ。『モノノ怪』全部を通じても一、二を数える名場面だと思う。
『あのバーサンを、ちょい、とシメあげて、東大寺の在り処、聞けぬものでおじゃろか』
しかし大澤は腕力でモノ言える性質ではない。老女の如何に笑ってゴマかす。人の欲を見事にあらわす、屈指の名場面。
薬売りは薬売りで、当然のように屋敷じゅう天秤をばらまき、モノノ怪を探している。その中には当然のように、各プレイヤーの監視も含まれている。
薬売りの前にはどんな境界も無意味だ。この無距離感が好きだ。しかし境界が効力を持たないわけではない。だから「めんどくさい」
「迷って、いるのか」
モノノ怪の気配が定まらない。
ここは既にモノノ怪の領分である。(薬売りは退魔の剣に導かれ、明らかにモノノ怪の領分と理解して、件の屋敷に“踏み入り”香会に参加している。)
人々はモノノ怪に操作され、ゲームを続けている。それは、間違いない。
しかし傀儡の糸は見えても、力の源が定まらない。
どうしたら、形、を、引きずり出せるか?
薬売りは必死に天秤を操る。(この行為は、果たして、モノノ怪のやりくちと、なにか違うのだろうか…?天秤って、いったい、何だろう…??と、余計な…)
室町はさまざまな“監視”の視線も気づかず、屋敷中をさまよい歩く。
無論、どんだけ“部屋から部屋へと歩き回る道のり”そのものを、はしょっているかさえ、当人は全く気づかない。
彼にわかるのは<東大寺>が見つからない事だけ。
そのためだけに瑠璃姫を思い出す。
<東大寺>を思う心が、ある記憶を呼び覚ます。それはモノノ怪により封印されている。その姿は少女となって現れる。
純粋だが、全く制御されない心。無垢だが、情けを知らない心。自由過ぎるその心は、道ならざる道を嬉々として走り、きらきらする瞳で鏡のように己の姿を映す───
オレンジの雪。
(これらのシーンは、実は天秤が薬売りに見せているもの、なんだろうか?)
再び、香席に戻る一行。
既に薬売りが(卓の上)。
天秤が「中心」の変化を捉える。動く必要の無い、気配すら見せなかったモノノ怪が、動き出したのは、なぜか。
薬売りは退魔の剣を見つめる。
天秤が、一斉に傾く。
お札が、襖一面に展開する。
しかし、一枚も“発動”しない。
呪符は“内側”と“外側”のエネルギー勾配で“発動(赤化し文様が変化、エネルギー力場を構築・展開)”し、内外のエネルギー流動を“遮断”するらしい。サーモスタットみたいなもんか。薬売りの言うとおり、ヒューズには限界がある。しかし勾配差が無くても、何がしか力場を起こすことはできるようだ。
襖の奥は、“コトが済んだあと”
「もう、遅かった、か…」
薬売りは“何かが起きる”と予感していたのか?
それとも、本当に実尊寺の“あれ”を、見てはいなかったのだろうか。
いや、それはなかろう。
彼がモノノ怪を捉え損ねたのだ。
鵺が鳴き騒ぐ。
天秤は再び動き、別の襖を指し示す。
襖が開かれると、瑠璃姫の死体───
目前で首を串刺しされたようにみえるが、実際は…
これも又、モノノ怪の“みせた”もの。
「どうなってる…」
プレイヤー達は半狂乱。
目前の光景に“誰一人、何一つ、心当たりが無い”
───そんな筈は、無い。薬売りは知っている。
では、彼らが“嘘”をついているのか?
そう───かもしれない。そう言えるのかも、しれないが、だとしても。
天秤が示す先にあるのは、あくまでもモノノ怪。
地獄絵図は、モノノ怪が“みせた”ものだ。
しかし、プレイヤーにとっては、混乱するばかりで何の変化ももたらさぬ光景、であった。
ゲームとは無関係な光景なのだ。
ではなぜ、今、このタイミングなのか。
天秤が、モノノ怪を探していたから。
薬売りが、モノノ怪を、探り出そうとしたからだ。
探っている相手に、見せつける───
これはモノノ怪の“挑戦”だ。
薬売りは、怒る。
かつて坂井の人々を守ろうとした、あの。
飄々としながらも、ひとと生命に対する愛情溢れた薬売りの姿が、ここに在る。
「この屋敷には、誰が居る!!」
怒りながら訊いている。しかし、具体的に、誰と誰がいるのか?と尋ねたわけではない。
暗に、プレイヤー達の認識を、確認している。
貴方がたはどの程度、自分たちの置かれた状況を把握しているのか、と。
「あ…あとひとり、フシギなオナゴを見たでござる」
「ちっさいオナゴが、大人ふたりをコロしたっちゅーんか」
室町も半井も実直者であるから、とっさの嘘をつくのは下手であろう。彼らの言葉は、彼らにとっての真実を語っている、とみていい。だが、だからといって鵜呑みにはできない。彼らの言葉は、彼ら自身の意志とは限らないようだから…。
「東大寺!東大寺は無事でおじゃるか」
大澤の一言が、他の二人を動かす。パニックから一転して、突然奥の間を荒らしだすプレイヤー達。
香仲間?や姫が死んだというのに、先ほどまでの動転も弱腰も瞬時に消えた。場が高貴な家屋敷であることさえ忘れたかのようだ。
“東大寺”の一言で、彼らはなぜ豹変してしまったのか。腹を立てていた薬売りも、さすがにビックリ、呆れて叫ぶが。
「待てぇ!」
ドスの効いた静止すらも、<東大寺>を探す男達の耳には、まるで届かない。
そんな彼らに“冷や水”を浴びせることができるのは…
「何か、ありましたのんか?あては、目が、悪うおますゆえ…」
老女の問いかけにハッと我に返る大澤。「じ、実尊寺はんの」
アレを、見られては香会を続けられない。(あの〜、でも、瑠璃姫の首もげてるんだが…)
大澤さんのフットワークの軽さは人間離れしている。お年寄のケガの原因は80%が転倒なんですよ。(お年寄とも、限らないんですがね)
走って滑り込んで襖を閉める、ただそれだけの仕草が、ある意味なんと愛らしい(笑)
<東大寺>こそすべての根源。
そして香会こそ彼らの生そのもの
プレイヤー達は、あっというまに、次なる組香の開催をきめてゆく。
瑠璃姫の遺した“玉”すなわちゲームの答は、「帚木」
この答は、筆で紙に記されていた。
五本の縦棒がただ真横一列に並んだ形は、モノノ怪の本質。横棒を加えるだけでどのような香印も可能、正体不明、決して本体に迫れない存在。凄まじい暗喩だなあ。
薬売りは(おそらくは老女について)再び退魔の剣に問う。
が、どうやら、モノノ怪の“形”は、まだまだ顕れない様子。
「“東大寺”とは、一体、なんの事ですかね…」
<東大寺>の継承権をめぐって、組香を続ける人々。その本質であるべき、瑠璃姫が死んだにもかかわらず。
「香元をつとめましょう。そのかわり、<東大寺>とは何か、
貴方がたが瑠璃姫よりも強く欲する<東大寺>とは何、か、
…お聞かせ願いたく 候」
プレイヤー達が条件を飲んだのは、本当は、薬売りの意図を汲んでいたから、なのだろうか…。
あえかに儚くたゆたい消える
言葉では近づけず、されど、そこにあるもの
残るのは切なさ
今は 無い という 記憶…
薬売りの文字通り独白。
屋敷で、情感を本当に持ち得たのは、只一人、薬売りだけだったのだから…
モノノ怪の領分の中。
おそらくは天秤が、薬売りの領界を、確保している。彼とてモノノ怪の領分を自由に“歩ける”わけではない。
薬売りは、3人に背を向けて座っている。
そういえば、「のっぺらぼう」のラストでも、薬売りはお蝶に背を向けていた。
モノノ怪とじかに向き合わぬためか。心の眼でモノノ怪を“見る”ためか。
膝の前に、天秤がひとつ。
大澤が語るのは、<東大寺>の秘めた(故に一部の人しか解らない)「価値」。
半井と室町は、<東大寺>の秘めた「由緒」と、秘めた「魔力」について語る。
「正倉院にある筈の欄奈待が、なぜここに…」
「ふたつあったので…。風の噂に、この笛小路家の瑠璃姫が、その一方を持って……」
突っ込まれると、すぐに停止が入る。「もうよろしいでんな」
薬売りが薬を練る時。それすなわち、策を練る時?
『たしかに薬売りこそ生業』
闇のアヤカシには閃光爆弾。今回は…麻薬…?!!
場の主導役はたいがい大澤。それは、年長者であるばかりでなく、香に対する最も忠実な崇拝者であるからだろう。
(実力的には実尊寺が凌ぐのかもしれないが、彼にはべつの役割がある)
次なる組香、「竹取香」を説明し終わる頃、ふたたび鵺が鳴く。
モノノ怪の領分、さらに密度を増す。静寂の中に響くのは、声のみ。
鵺(ぬえこどり)の正体について、既に鳥だということは承知されている。
現実主義者の大澤など、笑って怪異を否定する。大澤だけでなく、プレイヤーは皆、徹頭徹尾合理主義、リアリストの実務派である。
故に、鵺を恐れはしても、合理的に説明できると考える。
室町は「曲者」と言った。殺人は当然人間が行うと考えるからだ。
また「ちっさいオナゴが…」と言う、半井の常識にモノノ怪の存在は含まれない。
視聴者はタイトルからモノノ怪の正体を、鵺と結びつけることができる。
源慧やお蝶のように、モノノ怪にとり憑かれた人は、モノノ怪について考えられない。だから、冒頭からの、薬売りが再三言う
「斬りますよ…モノノ怪を、ね」
の意味が、理解できない。そのうえ合理主義者ぞろいとくれば、余計に説得しづらい。
だが、徐々にわかりはじめている。薬売りによる、再三の促しで。(お蝶への問いかけを思い出そう)
全く信じない何かを、信じざるを得ないハメに追いこむ、これは、破壊力のある脅しだ。
「モノノ怪は、鵺…なんだろうか」
この屋敷を訪れてから、おそらくただの一度も浮ぶことの無かった、いや、浮かべることの出来なかった疑問。
今までいちども思い至らなかった存在を、初めて意識しはじめる。最初は室町というのは示唆的かもしれない。彼はすぐれた獣的嗅覚の持ち主。香の聞き分けは不得手でも、ある種の微妙な嗅ぎわけはできる。
鵺の鳴き声は、視聴者にはモノノ怪を印象づける。
劇中では、薬売りの『予言』どおりに、モノノ怪が現れ、殺人が起きた、という印象を、プレイヤーは受ける。
死体の出現が鵺に結びつく。薬売りの思惑通り、というわけである。
剣を持つ謎の男が現れ、「モノノ怪モノノ怪」 と 連呼する。正体不明の鵺だか…オナゴだか…何か、モノノ怪?が、出て、香会の関係者が死んでいる(のを見せつけられる)。
視聴者にとっては、「凍えるような雪の夜更け」にふさわしいコンボ。
そして“当事者達”にとっては「今宵は、“いつもの”晩とはちがう」という、意識の芽生え。
「もう、あらわれておったりしての」
この言葉を、大澤は“無意識”に発したのだろうか。
言霊は無限の残響を持って闇に吸い込まれる。体温を奪われるような静けさだ。
凍りついたのは、モノノ怪であったのか。
鵺の叫びは、亡者の叫び。
実尊寺を殺したのが室町であったかどうか、真実のところは、わからない。
わかるのは、享楽家の高慢、宮仕の鬱屈、それがモノノ怪の餌になったこと。
瑠璃姫を殺したのが実際に半井であるとは、かならずしも断定できない。
ただ、半井が火箸で刺しまくっていた相手が、実は自分自身であった───
このことが、己の放蕩(親から受け継いだ大切な身上を潰したこと、尤も、この記憶さえも、思い込みに過ぎないのかも知れない…)は許せても、他者の放埓(瑠璃姫の逸脱っぷり)は赦せぬ激情を、延々と持ち続ける───といった、実直な男の無念怨念が、やはりモノノ怪の餌となったことを、示している。
あるいは、半井は自分自身を断罪したのかもしれない。
最後の最後に、だったかもしれないが、もしかしたら心のどこかでは、わかっていたのかもしれない。既に自分は、生きるに値しないのだということを。
半井よりも、さらに大澤はどこか悟っていたような気配がなくもない。しかしそれでも、彼も決して組香をやめることはできない。
やはり、ことをはじめたのは、自分自身だということである。モノノ怪は人々を組香に誘ったかもしれないが、誘いに乗ったのは、彼ら自身なのだ。
大澤は己の分を越えて走り回り、人生につまずいて死ぬ。いや、現実にはとっくに死んでいたのである。気づいていなかっただけで。
本当に気づいていなかったのだろうか。感受性ゆたかな人物が、モノノ怪に突き動かされ、人形のように操られていたなら、どこかでさぞ苦しかったのではなかろうか。
逃れようのない罠の中でもがいている本当の彼自身は、薬売りの“救いの手”を掴もうとしたのではないか。
「こなたは続けようぞ」
大澤は他のプレイヤー、モノノ怪の“駒”たちを、組香に巻き込む役目を担う。(他の“駒”も場合に応じて役目を果たすと思われるが、公家で人格者の大澤は、組香の実行委員長を務めるのに丁度良い、中間管理職的な人材である。)
いかなる局面からも<東大寺>の重要性を説き、常に香会を導き出そうとするので、そこを逆に薬売りにつけ込まれ、誘惑にも抗えなかった…
「竹取香」で用いた秘薬?が、大澤や他のプレイヤーに、ちょっとした暗示を与えたようではある。が、モノノ怪の支配を完全に遮断するほど威力があったのだろうか?
あるいは、薬売りの例の催眠術かもしれない。が、組香によって“命”を危険にさらす恐さをまのあたりにしながら、大澤が逃げなかったのを、もしも彼自身の意思とするなら、心のどこかで、自身の最期を望んでいた…の、かもしれない。
「そのまま…というのも、あまりに不憫でしたので」
さすが、薬売りらしい詭弁だ。
“駒”を消す必要が絶対にあったのは、他ならぬ薬売り自身である。第一、モノノ怪の手駒は、憑いたモノノ怪と斬られるまでは、成仏などありえない。
モノノ怪の手足をもいで、初めて「本尊」を引きずり出せる。手下の「排除」は、なされるべくして行われたことだ。プレイヤーがうろうろしている間は、モノノ怪は決して姿をあらわさない。
モノノ怪の“手駒”を奪い、口上を叩きつけることで、ついにその「形」は出現する。
薬売りをあざ笑うかのように、手駒の死体をもてあそんでみせたモノノ怪に対する、薬売りの怒りは、手痛いしっぺ返しとなり、しかもそのまま退治の手段へとつながる。なかなかに腹黒い、そしてまことにあざやかな手腕である。
「ああ、愉快、愉快」
どうやらモノノ怪の<鵺>も相当な享楽家のようだ。なかなか本気にならない、それでヒトを玩びフザケてみせる。
笑ってばかりのモノノ怪を「怒らせる」ために、手下を無力化して言葉を叩きつけた薬売りだったが、相手の「形」が<鵺>だけにとらえどころがなく、折角のハイパーの威力も空回りする。
だが、アヤカシの器は実体を備えていた。しかも、香木、木材である。これは、ある意味幸運といえる。もし源慧やお蝶のように、ヒトの体が器となり<鵺>となっていたなら、肉体ごと“斬”らねばならなかったのかもしれない。
香木の立場?からみれば、樹木としての役割はとうの昔に終わっていた。いわば化石燃料のようなものである。炭素を固定して永い眠りについているモノである。炭素は外に出たいとか解放されたいなど考えない。ただ在るだけだ。それがアヤカシの器となったのにはそれなりの理由がありそうだが、享楽家の<鵺>は古びた妄執よりも、新たな刺激を求めるほうがよほど面白かったとみえる。
そこで薬売りが招かれた。
彼は、亡者が跋扈する屋敷に引きずり込まれ(あるいは退魔の剣に導かれるまま入り込み)、モノノ怪の囲う記憶を見た。モノノ怪が手駒から自由気ままに抜き出したり与えたりした、数多の陰湿で残忍な記憶を。
薬売りはアヤカシの器を破壊し、囚われていた記憶を解放した。亡者達は憧れの香を聞き、満たされて消滅した。
しかし、モノノ怪が気まぐれに繋げたり引き離した記憶の複雑に絡み合った糸をすべて断つことは薬売りにもできない。
また彼はそんなつもりもない。記憶は<鵺>そのものであり、そのまま、彼のうちに永遠に残る。
みな煙のように消えてしまった。残るのは切なさ、今は無いという、記憶。
「鵺解」を書くのは、解を書きはじめた時から、一番楽しみにしていた。
海坊主の苦しさも、ここへ辿りつくために我慢した位(笑)
「鵺」は、楽しい。とにかく楽しい。
録画を繰り返し、どんだけって程繰り返しても、飽きなかった。
あの「イイ感じ」を、言葉で説明しようとすると、やっぱり上手くいかず、結局は海坊主的な「筋追い」になってしまった。
以下は蛇足ながら補遺として続きます。
ここまで読んでいただけたら、もう御御恩の字です。本当にありがとうございました。
「鵺」はとてもシステマチックな物語であるのだが、そこに歴史性を重ねると、ポリフォニックな構造が垣間見えてきた。
私はシロウトだし、脚本家や制作の方々についてもまるきり何も知らないので、妄想的で皮相な解釈とは思うのだが、ちょっとそのへんを絡めて考えたことを書いてみようと思う。
猿の部分を見た者は、鵺を猿だと言い
虎の部分を見た者は、鵺は虎だと言う
あの絵が語っているのは、その姿ではなく
見る場所によって姿が違うということを言うているのでおじゃる
「鵺」は、アニメ「モノノ怪」のために新たに書き下ろされた物語である。虚構でない部分はひとつもない、直接的には全く歴史に依拠していない、と言い切れると思う。
だのに、なぜか、大澤の台詞を聞くと、不意に泣けてくるような、強烈に懐かしい感慨がわいてくる。
不思議だ。現実離れした、香道なんて全く馴染みの無いゲームが、なぜこんなに───見ていて楽しいんだろう。そして切ないんだろう。
鵺の感想を検索していると、「鵺と香の組合せが意外だった」という声が散見される。
私などはまずこの意味からして分からなかった。
物語の構造は単純で「鵺=香木」の関係はすぐわかる。蘭奢待は歴史的なステイタスシンボルで、芸術的にも価値の高い象徴だ。
他方「鵺」はこれまた古い由緒ある妖怪、とはいっても「異端」「勝負は負け」「落ちぶれる」「祟る」などマイナスイメージにまみれた、恵まれない敗者のシンボルである。
史学文学に通じた人ほど、この組合せに意外性を感じるのも当然なのだ。
そこで創り手がこの組合せを考えついた依拠を知りたいと思い、無謀にも両者の系譜を過去へ辿ってみた。
当然のごとくジャストなモノコトには行き当たらなかった。
けれども(言い訳ですが…)やみくもに情報を当たっているうち、どうやら、物語はストーリーそのものとしてみるなら、シンプルな構造で怪異譚の雰囲気を楽しめるが、歴史文学に通暁した人ほど、裏設定ともいうべき怪異や名称を透かして、幾重にも暗示された情感を楽しめるように出来ているのではないか───と、(これまた無謀にも)思いはじめてしまったのです。
そして、物語をポリフォニックな構造とみるなら、そこには、神話、伝承、伝説の見事な創造過程の系譜がみえてくるような気がする。
次章は、ドシロウトがネットで上っ面だけなでた解釈にすぎませんが、私にとっては最初の一歩です。
みつけた名前と情報のすべてに敬意と感謝を込めて、また自分自身の感じた驚きや喜びや哀感を込めて、何よりもモノノ怪に感謝を込めて。